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区界駅開業五十周年記念碑

交換駅としての使命を果たし続ける駅。

2010/07/08 公開。

概要

JR 東日本山田線の区界駅は同社屈指の閑散路線として知られる単線非電化の山田線における重要な交換駅として大正末期より建設が始まり部分開業の末、1928 (昭和 3) 年 9 月 25 日に開業した駅である。すなわち、開業当初は同線の終端駅であった。

駅名でもある区界地区は岩手県の県庁所在地である盛岡と三陸沿岸の中核都市である宮古を一直線で結んだ線上にある峠であり、そのまま行政区画の境目でもある。区界という地名はまさに読んで字の如しなのである。

ちなみに、区界地区はかつては川井村に属していたが、2010 (平成 22) 年 1 月 1 日に宮古市に編入され広大な面積を誇り歴史ある同村は消滅した。それを知り、村名の消滅を悲しんだ私は合併前に慌てて『川井村郷土誌』を取り寄せた。

合併前の一時期に何度も東京から盛岡経由で山田線に乗って宮古へと通った者としては区界が宮古市というのは果てしない違和感をおぼえる。何故なら、個人的には茂市ですら宮古市ではなく『新里村やろ !!』と突っ込みたくなるくらいだからである。

それはさておき、同駅は JR 東日本管内で最も乗降客数が少ない駅である。それは冒頭でも述べたとおりそもそも交換駅としての性格が強いためである。つまり、駅前に特に集落があるわけではなく広大な農地が広がっており、自動車普及率も高いために必然とも言える結果である。

しかし、当駅は盛岡から急峻な区界峠を遠回りして長いトンネルを抜けやって来た列車が、これよりひたすら宮古へ向けて下り続ける前の一休みを行う重要な駅なのである。そして落ち葉の季節の空転防止のメンテナンスなど諸々の管理のため駅員常駐駅である。山田線は無人駅も多いため、実際盛岡から乗車して当駅で駅員が到着や発車を見守るのを見ていると、『ああ、区界まで来たか。ここからは下りか。』という気持ちの一区切りにもなる。

ところで、山田線の建設の様子を記録した一部の写真が土木学会の『土木デジタルアーカイブス』により参照が可能である。この中で、詳細不明とされている写真について私としてはどうしても区界駅にしか見えないものがある。それが次の写真である。

特に二枚目の写真の奥に線路と並行に走る細い砂利道のような道路が現在の国道 106 号に相当するものではないかと推測している。つまり、これらの写真は二枚とも線路の南側より盛岡方面に向かって撮影したものではないだろうか。ホームの曲がり具合いといい、背後の山並みと言い私には区界駅にしか見えない。ただ、物証がないのである。

区界駅開業五十周年記念碑(区界駅と思われる建設風景)

区界駅開業五十周年記念碑(区界駅と思われる建設風景)

出展:土木学会土木デジタルアーカイブス『土木貴重写真コレクション』鉄道橋梁工事 ※管理人一部加工

ほぼ同様の角度と思われるアングルで撮影した区界駅の様子である。いかがだろうか。

区界駅開業五十周年記念碑(区界駅全景)

これらの写真は当報告書巻末の参考文献欄にリンクを掲載しているのでぜひご覧頂きたい。リンク先ページ内の No.27 及び No.29 である。なお、No.31 は No.27 と同一と思われる。

もしも、これらの写真について何か気が付く点などがおありの方はご教示頂けると幸いである。なお、土木学会ではこれら詳細の不明の写真について情報を求めており、私も過去にいくつかの写真について情報を提供し先方でも確認の上採用されたこともある。

さらに、同ページ内の No.24 の『山田線 殉難者慰霊碑』して以下の写真が公開されているが、長年この慰霊碑がどこにあるのかが不明であった。

区界駅開業五十周年記念碑(殉職者慰霊碑)

しかし、調査の結果以下の個人サイトにて詳細が判明した。

簡単に紹介すると、この慰霊碑は先ほど触れた『長いトンネル』である『第一飛鳥隧道』の建設時に殉職された方々のためのものである。この隧道の位置は以下の地図の中心部にある、少し斜めに南北に伸びている直線部分である。また、慰霊碑自体は下の地図では上部に位置するこの隧道の浅岸方坑門付近にある。

このような情報を Web にて紹介して頂いたことにとても感謝している。山田線を愛する者のひとりとして必ずや訪れ、殉職者の冥福を祈りたい。

調査日:2007/09/26

諸元

項目 内容
正式名称 区界駅開業五十周年記念碑
所在地 岩手県宮古市門真田代 区界駅前
設置年月日 不明 (1978 (昭和 53) 年か)
建立者 不明

調査結果

全景

同碑は区界駅舎の正面の植え込みの隅にあり、大きな自然石で作られており見失うことはない。ただ、背後の国道 106 号側からだと碑であるとは判別しにくい。

前面(駅舎側)にはプレートが埋め込まれており、これが目印である。そして、この石は区界駅建設時に周辺から掘り出されたものだろうか。だとしたら建設時の苦労と開通の喜びをも示していることになるが、開業五十周年記念という点においてはそうではないかも知れない。

区界駅開業五十周年記念碑全景

詳細

プレートには横書きで『区界駅五十周年記念』と刻まれている。また、その下には『区界小唄』とタイトルで以下の詩が刻まれている。

わらび折るてを なぜとめさせて やぶのうぐいす 誰をよぶ 行こかあの娘と すヾらんかりに かぶとお山の ふもとまで

この『区界小唄』は前述の川井村郷土誌においてさっと見た限りでは記述が発見できなかった。従ってどのような由来の唄なのかは把握出来ていない。

区界駅開業五十周年記念碑詳細

総評

山田線は盛岡と釜石を結んでいる路線であるが、山田という途中の地名が路線名となっている。これは当初の計画時の終点が山田だったからであるが、個人的には山と田に囲まれた美しい情景の中を走る路線名として言い得て妙ではないかと思っている。

同線はいわゆる秘境駅と呼ばれる駅もあり、『乗り鉄』の世界でも有名のようであるが、区界峠に阻まれ交通の不便であったこの地方に近代化と図りしれない貢献を果たしたその意義や台風による線路の断絶からの復旧など、その歴史そのものにも目を向けて欲しい。

山田線については私自身はほとんどが盛岡~宮古間の利用だったため宮古~釜石間については情報を持ちあわせていないが、盛岡~宮古間でこのような記念碑はここ区界駅以外には存在していないようである。

なぜこの駅が記念碑の場所として選ばれ、なぜ五十周年のタイミングで建立となったのか経緯については全く情報がない。ご存じの方はご教示頂けると幸いである。

参考文献等


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