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日光鐡道碑

日本鉄道により開業した歴史ある路線。

2010/07/31 公開。

概要

関東の一大観光地として名を馳せる日光に鉄道が最初に到達したのは 1890 (明治 23) 年 8 月 1 日である。この日を以て現在の JR 東日本日光線は今市~日光間を延伸開業し、日光駅も開業となった。その後東武鉄道も日光への鉄道敷設に乗り出し、1929 (昭和 4) 年 9 月 1 日にはついに東武日光駅の開業に至り両者の熾烈な競争が始まったのである。

なお、今でこそ JR 東日本日光線となっているが、その建設の経緯は私鉄によるものである。そもそも日光への鉄道敷設を計画したのは地元の発起人らにより起こされた日光鉄道会社という私鉄であった。同社は 1886 (明治 19) 年 6 月 24 日の設立と同時に宇都宮~今市間の鉄道敷設計画を申請したのである。

ところが当時の宇都宮駅を含む現在の東北本線も日本鉄道という私鉄であり、時の鉄道局長官井上勝はそれならば宇都宮~今市間も日本鉄道により建設及び営業させれば営業費用の低減及び工期の短縮が可能と判断したのである。これを受けて日光鉄道会社の発起人らは直ちに測量に着手し詳細な調査を行い、その結果日本鉄道に一切を依頼することを決議し日本鉄道と交渉を行った。

その結果最終的に日光鉄道会社は日本鉄道に買収され、日光鉄道会社の申請したルートを一部変更した上でまずは地形が平坦で建設が容易な宇都宮~今市間をまず開業し、続けて急勾配の続く今市~日光間の延伸開業を果たしたのである。

つまり、現在の日光線は日本鉄道の一支線として開業したのである。

その後日光駅開業の 13 年後の 1906 (明治 39) 年 11 月 1 日に日本鉄道は国有化され、さらに三年後の 1909 (明治 42) 年 10 月 12 日には線路名称が宇都宮~日光間が日光線と制定され現在に至っている。

ところで、最初にこの鉄道敷設を計画した日光鉄道会社については日本鉄道へ買収され幻の鉄道事業者となったが、その過程で政府に提出された公文書を以下の URL にて参照可能である。

これは、日光鉄道会社による鉄道敷設計画を廃止し同社への免許を取り消し、日本鉄道により改めて支線として建設する旨での出願に対し免許を交付した記録である。

ちなみに、日光鉄道会社の創立委員長は我が国を代表する実業家である渋沢栄一氏であった。

調査日:2008/10/26

諸元

項目 内容
正式名称 日光鐡道碑
所在地 栃木県日光市相生町 115 JR 東日本日光駅前
設置年月日 1894 (明治 27) 年 5 月 (碑文より推測)
建立者 未確認

調査結果

全景

同碑は JR 東日本日光駅を出てすぐ右側にひっそりと建っている。自然石を用いた素朴なもので派手さはないが、日光に鉄道が敷かれてからの百年以上の歴史を静かに伝えている。

日光鐡道碑全景

詳細

撮影当日は曇っていたこともあり、碑文が非常に見辛いのはご容赦頂きたい。上部には題字が書かれているが、浅学な私には判読不可能である。またその下には碑文が漢文調で記されているが、短文であるため推測するに開業に至る経緯を簡単に記しているようである。

写真

碑文については以下のサイトにて紹介されているのでぜひご覧頂きたい。なお、一部不鮮明な個所があり、私も写真で拡大しても不明であった。識者の協力を頂けると幸いである。

日光鐡道碑詳細

総評

現在 JR 東日本日光駅の一日平均の乗車人員は 1000 人に満たない。これは第一にモータリゼーションの発達によるものであろう。しかし鉄道事業者側も手をこまねいているわけではなく、駅意匠や車両をレトロ調にしたりかつて真っ向勝負をしていた東武鉄道からの特急列車の乗り入れを行ったりしているのでこれからに期待したい。

なお、日光駅には古レールによるホーム上屋及び跨線橋が現役として使用されており、歴史を感じさせてくれる。さらに古レールは駅南端の跨線人道橋にも使用されており一見の価値がある。これらのあわせて現地調査を行ったので別途紹介したい。

そして、鉄道碑としては今回した日光鐡道碑のすぐ横にもう一つある。それは『日光驛開業五十周年記念碑』である。こちらはさらに簡単にであるが以下の報告書を公開しているのであわせてご覧頂けると幸いである。

参考文献等


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