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古レール JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】

お茶の水博士の由来となった駅の古レール。

2009/08/04 公開。

概要

御茶ノ水駅は表記の通り全て漢字であるが、鉄腕アトムに登場するお茶の水博士はひらがなが多く混じる。そして同博士の名前の由来は Wikipedia によるとこの御茶ノ水駅にあるそうである。

また、同駅の北側を流れる外濠は江戸城関連で掘削される前は、その前後の台地が一続きで『神田山』と呼ばれていたそうである。そして、付近の高林寺から湧く水が江戸時代の二代将軍徳川秀忠にお茶用の水として献上されたのが御茶ノ水という地名の由来だそうである。やはり素直にお茶のための水だったのである。

なお、Wikipedia には明治時代の御茶ノ水周辺の写真が掲載されているので紹介したい。驚きの光景である。さらに現在ではこの写真の右側(と思われる)の崖に鉄道が敷設されているのである。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】明治時代の御茶ノ水

出展:平凡社『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』 ※管理人一部加工

鉄道駅としては 1904 (明治 37) 年 12 月 31 日(大みそか !!) に甲武鉄道の駅として開業した古い駅である。ただし、開業時は現在の位置ではなく現在駅の西端に位置するお茶の水橋のさらに西側にあった。その場所は以下の 1932 (昭和 7) 年発行の地形図より確認頂きたい。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】旧版地形図

出展:国土地理院 1/25,000 地形図「東京首部」(S07/06/30 発行)※管理人一部加工

そして 1932 (昭和 7) 年の総武本線の乗り入れに際し、現在のいわゆる緩急接続を考慮した線路配置となると同時に現在地に移転している。70 年以上前の旅客流動の設計思想が今も現役で活躍している駅なのである。

同駅の古レールはホーム上屋と跨線橋及び駅舎への階段に使用され、ハッキリ言ってその使用量は大量であるため、調査のしがいはある。現在の場所に移転した時代を考えると、その当時の構造物である可能性が高いと個人的には考えている。ただし、裏付けはない。

例によってピンボケもなりふり構わず紹介しているが、ご容赦願いたい。

調査日:2007/04/21、2008/04/27

調査結果

架構

同駅ホーム上屋に使用されている古レール架構は、これまた特色のある形態である。2 面あるプラットホームそれぞれの中央に 1 本立ちする(正確には 2 本立ち)柱を架線支持も兼ねた梁でつなぎ、短辺方向の変位を防止すべく一体的な架構を形成している。この柱と短辺方向の梁が古レールであり、長辺方向にはアングル(L 型鋼)が使用されている。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】ホーム上屋古レール全景

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】ホーム上屋古レール全景

古レール柱上部はアングルと鉄板とを組み合わせたトラスを形成しており、リッチなやじろべえ型の架構と言えよう。つくづく思うことだが、古レール架構の設計者のこだわりはそれぞれに個性があり、見ていて飽きない。またその細かな部材の接続部全てにリベットが用いられ、時代を感じさせる。

ただ、残念なことに同駅では古レール柱鉛直部に保護材が取り付けられ、刻印観察の観点からすると一番見やすい部位がもどかしい状況である。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】ホーム上屋古レール架構

また、聖橋出口へつながる跨線橋への取りつき部は古レールとは直接関係はないが、ご覧のように長辺方向の梁が独特の納まりを見せている。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】ホーム上屋古レール全景

冒頭でも触れた通り、その跨線橋自体も古レールで構築されている。なお、同駅ではさらに秋葉原方にも跨線橋が存在するが、こちらは後年の設置のためか古レールではない。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール全景

跨線部分の拡大である。古レールで組まれた様子がお分かり頂けると思う。ところで、階段部の壁は木造である。跨線部の壁は木造には見えないが後年の改修だろうか。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

跨線橋の階段下の架構である。比較的シンプルな部類に属していると言えよう。また、この部分の柱の一部には保護材が取り付けられておらず足元まですっきりと観察可能である。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

さらに同駅では高台にある駅舎への階段(駅舎自体が跨線橋とも言えなくもないがここでは跨線橋とは別と捉える)も古レールにて構築されている。この部分は立ち入り禁止であるため、古レールが階段部のみに使用されているのか、駅舎部分にも使用されているかは今回は確認できていない。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

その古レール架構部の拡大である。跨線橋と比較すると少々密な構造に見えるが、これはそこに旅客が立ち入らないことを想定しているためにこうなったのであろうか。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

先ほどの跨線橋に戻る。線路を跨いでいる部分の内部はこのように屋根材として露出している。ところで、このような円形の屋根を持つ跨線橋は少数派のような気がする。また一枚目の写真の画面右側の太い木の柱にもご注目頂きたい。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

この跨線橋は上述の通り聖橋口と接続しており、その接続部も古レール及びアングルにて構築されている。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】跨線橋古レール架構

刻印

今回発見した刻印は以下の通り。古レールは多く使用され刻印も比較的多く見つかるが、そのほとんどが BARROW と UNION の同一刻印と思われるものであり、種類としてはあまり多くはなかった。寸法を揃えるためになるべく同一のものを集めたのかも知れない。

No 刻印 場所 備考
1 BARROW STEEL 3MO 1888. I.R.J 166 ホーム上屋 イギリス バーロウ社 セクション番号 166 1888 年 3 月製造
2 UNION D 1886 N.T.K. ホーム上屋 ドイツ ウニオン社 1886 年製造 日本鉄道(?)発注
3 BARROW STEEL SEC166 1894. I.R.J ホーム上屋 イギリス バーロウ社 セクション番号 166 1894 年製造 鉄道局発注
4 BV&CO 1888 I R J ホーム上屋 イギリス ボルコウ・ボーン社 1888 年製造 鉄道局発注
5 (S) 75 A 1928 IIIIIIIII 駅舎への階段 75LbS / yd 第一種、官営八幡製鉄 1928 年 9 月製造
6 H-WENDEL IX 1925 75LBS ASCE TB ホーム上屋 フランス ウェンデル社 1925 年 9 月製造 75LbS / yd アメリカ土木学会規格 トーマス転炉・ベッセマー転炉製鋼法(詳細不明)
7 CARNEGIE 1900 ET IIIII 工 ホーム上屋 アメリカ カーネギー社 1900 年 5 月 エドガー・トムソン工場製造 官営鉄道発注

No.1

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.2

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.3

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.4

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.5

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.6

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

No.7

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

総評

同駅は現在では利用客の非常に多い都心のターミナル駅であるが、その駅の配線等の基本構造は昭和初期から不変であり、かつての設計者の先見の明には改めて驚かされる。

ちょっとだけ考察すると、現在のように緩急接続を同一ホームで実現するとなると、駅前後でそれぞれの路線の立体交差が発生する。つまり単純に構造物構築に必要なコストが増すのである。都心の他の駅も見られるが、利用者を第一に考慮しなければこのようなコスト増につながるような思想は難しいであろう。

また、増えるのはコストだけではない。同駅周辺は外濠と台地に挟まれた狭隘な立地条件であり、構造物の設計構築の難易度も格段に増すのである。

ところで、現在位置に駅が移転した際に実現した総武本線の乗り入れに際しては、現在も基本的に竣工当時の姿を残す高架橋によって御茶ノ水~両国間が結ばれている。この部分は建設時は両国線とも呼ばれ、特徴的な構造物を多く含む大変意義深い路線である。この高架橋そのものについても現地調査を進めているが、現時点では御茶ノ水駅付近より隅田川を渡る手前の浅草橋付近まで進んだ。

今後両国駅まで到達したのち文献調査結果とともに当サイトにて紹介したいが、現地調査したものの中から秋葉原駅付近に位置する第一佐久間町高架橋を紹介したい。昭和初期にこのような造形のコンクリート高架橋が構築されたのである。この高架橋の竣工当時の写真が巻末記載の土木学会デジタルアーカイブのリンク先資料の表紙を飾っているのでこちらもぜひご覧頂きたい。

JR 東日本中央本線【御茶ノ水駅】古レール刻印

参考文献等


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