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古レール JR 東日本信越本線【横川駅】

あくまでも主役は木造の古レール。

2010/01/19 公開。

概要

JR 東日本信越本線横川駅は鉄道を趣味とする人にとってはひときわ有名な駅である。現在でこそまるで静かなローカル線の終端駅と言った風情だが、かつては隣の駅であった軽井沢駅との間の天険である碓氷峠越えというある意味我が国で最も特殊な区間として名を馳せていた駅である。

開業は 1885 (明治 18) 年 10 月 15 日という大変な歴史を持つ駅であり、約 8 年後の 1893 (明治 26) 年 4 月 1 日に横川~軽井沢間の碓氷峠越え区間が開通した。峠越えが現役だった時代は EF63 という碓氷峠専門の機関車が配備された横川機関区を従え、特急列車を含む全ての列車が停車し、機関車の増解結を行う重要な駅であった。

その横川機関区は通称長野新幹線と呼ばれる北陸新幹線の開業に伴う碓氷峠越えの廃止と共に役目を終え、その跡地には現在碓氷峠鉄道文化むらという施設が誕生し、今もなお『鉄道の街』をアピールしている。

この横川~軽井沢間の廃止に伴い信越本線は分断されることとなったが、この廃止区間の調査も第一次としては完了している。というよりこの調査の際に同駅の古レールを軽井沢駅と共に発見したのが実際のところである。廃止区間の調査結果は当駅についても含んだ上で別途報告する予定であるため、見どころの多い駅ではあるが、当報告書では古レールについてのみ取り上げるのでご了承願いたい。

調査日:2007/10/06

調査結果

架構

同駅の古レールは 1 番線のホーム上屋に使用されている。写真では少々分かりにくいかも知れないが、木造のホーム上屋の短辺方向の補強材として使用されている。そしてそれは全ての柱ではなく、一つおきの箇所に適用されている。

写真では最も手前の柱と短辺方向の梁に注目頂きたい。ここに木造の部材の内側に古レールが使用されているのが確認出来る。しかし奥に向かって次の箇所は木造のままである。

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール全景

同ホームを今度は軽井沢か方面に向かって望む。写真としてはこちらの方が古レールの使われ方が分かりやすいかも知れない。また、木造部分も装飾の無い実用本位のシンプルなデザインであることが分かる。

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール架構

となりの 3 番線ホームも同様のホーム上屋であるが、古レールによる補強は行われていない。理由は定かではないが、1 番線のほうが木材の腐食が進んでいるのだろうか。

JR 東日本信越本線【横川駅】建物財産標

撮影に失敗し、小さいし思いっきりピンボケであるが建物財産標である。さり気なく明治 33 年とある。赤いプレート自体はもちろん近年のものであるが、今我々が目にしているこのホーム上屋は果たしていつの時代に構築されたものだろうか。ひょっとして明治時代のものだったりするのだろうか。

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール全景

刻印

今回発見した刻印は以下の通り。刻印部分の塗装が通常と異なり何らかの調査が行われたようである。何といっても『鉄道の街』である。このような貴重な鉄道構造物は残して頂きたい。

No 刻印 場所 備考
1 BARROW STEEL XI/1890 SEC166 I.R.J ホーム上屋 イギリス バーロウ社、セクション番号 166 1890 年 6 月製造、鉄道局発注
2 BARROW STEEL XI/1890 SEC166 I.R.J ホーム上屋 イギリス バーロウ社、セクション番号 166 1890 年 6 月製造、鉄道局発注 ※刻印調査実施済み?
3 CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL W.1886.SEC.131.I.R.J. ホーム上屋 イギリス キャンメル社、強化鉄(※商品名) 1886 年製造、セクション番号 131、鉄道局発注 ※刻印調査実施済み?

No.1

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール刻印

No.2

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール刻印

No.3

JR 東日本信越本線【横川駅】古レール刻印

総評

横川駅での古レールはここで紹介したようにホーム上屋のみである。古レール構造物の二強としての跨線橋は新たなものに架け替えられているのである。ただし、以前の跨線橋の一部が隣接する碓氷峠鉄道文化むら内に保存されている。どうやらかつては横川駅構内に保存されていたが、後に移設されたようである。

支柱二本が保存されており、文化むらの案内図を掲げる『第三の人生』を静かに送っている。

碓氷峠鉄道文化むら【横川駅旧跨線橋】

支柱には『鐡道新橋 明四十』との刻印があり、当時の管轄官庁である鉄道作業局新橋工場で 1907 (明治 40) 年製造ということになろう。

碓氷峠鉄道文化むら【横川駅旧跨線橋】

支柱頂部には装飾用と思われる謎の球体が据えられてはいるものの、それ以外はオリジナルのまま残されているようである。なお、手前の支柱にあるデッパリは階段部の桁を支えるものであり、同様の構造の跨線橋の例として JR 西日本山陰本線竹野駅のものを簡単ではあるが以下の報告書に記載しているのであわせてご覧頂きたい。

碓氷峠鉄道文化むら【横川駅旧跨線橋】

また、古レールとは無関係であるが、2009/01/11 に同駅にて EF55 1 号機牽引の『EF55 碓氷号』の動画を撮影したため、共同撮影者が管理しているサイトより紹介したい。

参考文献等


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